大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和50年(ネ)1743号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

一亡盛喜作が原判決別紙物件目録記載(一)の土地(本件土地)を所有し、昭和二二年ころ、これを訴外撫初太郎に建物所有の目的で賃貸し、撫が同地上に同目録記載(二)の建物(本件建物)を建て、昭和二五年ころ、これを亡ツルヨに賃貸したこと、盛喜作が昭和四〇年七月一日死亡し、控訴人が本件土地の所有権を相続によつて取得し、本件土地の賃貸人となつたこと、控訴人が昭和四六年九月一七日本件建物を撫から買受け、これにより本件土地の賃貸借契約が消滅し、控訴人が本件建物の賃貸人の地位を取得したこと、亡ツルヨが昭和三九年二月ころ本件土地の周囲に板塀を設置して原判決添付図面の斜線部分(空地部分)に前記目録記載(三)の建物(増築建物)の増築をしたこと、控訴人が、亡ツルヨに対し、昭和四六年一二月一八日付内容証明郵便で、昭和四七年二月末日までに増築建物を撤去するよう催告し、その履行がなかつたので、これを理由に本件訴状により本件建物の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたこと、ツルヨは昭和五一年一〇月四日死亡し、被控訴人らがその地位を共同相続したことは当事者間に争いがない。

二控訴人主張の本件賃貸借契約解除の成否等について判断する。

前記争いない事実と<証拠>によれば、亡ツルヨが本件増築をなした経緯、右増築につき亡ツルヨと家主地主との関係として次の事実が認められる。

1 亡ツルヨは若くして夫と死別して後助産婦をして暮していたが、本件建物を昭和二五年中賃借し昭和二六年ころからは甥加市博一と同居していた。本件土地のうち空地部分約五〇平方メートルは右賃借当時は畑であり無花果などが植えてあつたが、亡ツルヨは本件建物賃借後撫の承諾を得てこれを従前どおり畑として使用していた。同人は同所に産院を建てることを計画したこともあつたが資金の都合で実現しなかつた。

2 加市博一は成長して昭和三三年頃から本件建物で医薬品販売業を営むようになつたが、昭和三九年妻を迎えることとなつたことから、亡ツルヨは本件土地の空地部分に本件増築をなすことを計画し、昭和三八年一〇月か一一月ころ事前に賃貸人である撫にその旨申入れたところ、右撫は増改築するなら自分の方でするか地主に相談しなければならないと答え、結局亡ツルヨの自ら建替えたいとの申入れと折合がつかず、また撫からの売却の話も亡ツルヨが受入れなかつた。ところが、亡ツルヨは昭和三九年一月ころ自宅を訪れた控訴人に対し右増築の話をしたところ、控訴人はこれを承諾するとともに建物所有者である撫に知られないよう従前の板塀を継ぎ足して高くした上工事に着手するよう勧めた。なお、当時控訴人は相続前で本件土地の所有者ではなかつたが、老令の父に代り本件土地の折衝に当りこれを管理していた。

3 右のように控訴人の承諾を得たことから、亡ツルヨは近所に住む建築請負業名和時次に工事を依頼(現実には下請の伊東秋夫が施工)し、同年二月二〇ころから控訴人の指示どおり予め本件土地南側及び東側の塀を六〇センチメートル(南側西部分)又は五〇センチメートル(その余の部分)程度継ぎ足して約三メートル(南側西部分)又は2.70メートル(その余の部分)の高さにしか外部から見えないようにしたうえ、三月一七日ころまでの間に本件増築工事を完了した。右増築建物は木造スレート葺片流れ平家建の建物で、従前の木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建の本件建物の東側に接続して六畳敷一間を設け、さらに東側へ四平方メートル程度の中庭を囲むように渡り廊下等及び六畳程度の一室を設けたもので、空地部分全面にわたつて増築がなされた状態となつた。

4 亡ツルヨは前記交渉のころから撫との関係がうまく行かなくなり、家屋明渡の請求(ただし本件増築を理由とするものとは撫の証言からは認められない。)を受け同年四月分からの賃料の受領を拒絶されるに及び、同年六月一日以降従前の一ケ月一六五〇円の割合による賃料の供託を続けるようになつた。控訴人は撫から昭和四六年九月一七日本件建物を買受け同年一〇月四日所有権移転登記を経由した後始めて亡ツルヨに対し右増築について異議を申立てこれを契約解除の原因として明渡し等を求めるに至つた。

<証拠>中には亡ツルヨから地主家主に見つかつてはまずいので、まず塀を高くしてからやつてほしいとの指示を受けた旨の供述がある。しかし地主に関する右供述は、(1)<証拠>と対比し、(2)本件建物と控訴人住居との位置関係及び控訴人の職業からして控訴人に増築工事を知られないですることの困難な事情、すなわち、<証拠>によつて認められる次の事実、(イ)控訴人方住居は本来は本件建物の五軒北隣りで本件建物が西側において面する道路に同様西面しているが、本件増築工事がなされた昭和四七年の一月ころから一一月ころまでは本件建物の北側三軒目の筋向いの東面する道路より少しへこんだところに改築のため移転していたこと、もつとも増築工事の際の塀のある部分は本件建物の南側の東西に通ずる道路に面しているが、いずれにしても距離的に近いところにあること、(ロ)控訴人は米穀商を営むこと、したがつて配達のため付近の動静に詳しいと考えられることを考慮すると、たやすく信用することはできない。<証拠>中には、控訴人は本件土地中裏側の東側部分を倉庫として使用するため本件建物を撫から買受けた、裏側一杯に建つていると思つていなかつた旨の供述があり、あるいは控訴人が増築工事のすべてについて具体的に知らなかつたことがあつたとしても、このことは前記控訴人の助言の認定に影響を及ぼすものではない。また控訴人主張の本件増築に際しなんら経済的利益を得ていないのに土地所有について不利益となる増築の承諾や助言をする筈がないとの点も、<証拠>によつて認められる、当時控訴人は薬を買いに屡々亡ツルヨ方に赴き、また亡ツルヨは米を控訴人から買受け、相当親しく交際していた事実からして、前記認定を左右するに足るものではない。

<証拠判断略>

以上認定の事実によれば、亡ツルヨのなした本件増築工事は、本件土地の空地部分のほぼ全面にわたつて木造平家建家屋を建築したものであつて、建物賃借人がなしうる土地利用の範囲をはるかに越えたものであり、しかも右増築が家屋賃貸人である撫の明示の意思に反するものであつたことからすれば、その背信性は否定できないものといわなければならない。しかし、亡ツルヨが本件増築をなすに当つて控訴人の承諾と撫にわからないよう板塀を高くして工事するようにとの助言を受け、むしろ、控訴人は亡ツルヨが本件増築工事をなすための素地を作つたものとみることもできる。そして当時控訴人はまだ盛喜作を相続しておらず本件土地の所有者ではなかつたが、実質的な管理権限を有していたから、右控訴人の承諾は土地所有者としての承諾と同視することができる。そうすれば、控訴人としては、本件増築が建物賃貸人である撫に対する背信行為に該当するとしても、土地所有者の立場から亡ツルヨのなした増築工事の非違を主張できない立場にあるものといわなければならない。そしてこの理は控訴人が撫から本件建物を買受け建物の賃貸人となつても同様で、控訴人が亡ツルヨに対し増築建物の収去を催告し、これが履行されなかつたことを理由に賃貸借契約を解除することは信義則上許されないことが明らかである。結局、控訴人は亡ツルヨに対し本件建物の明渡請求は勿論、増築建物の収去、土地明渡の請求、損害金請求もできないものと考えるのが相当である。

(村瀬泰三 林義雄 弘重一明)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!